2008/08/08

自業自得?因果応報? そして言霊の正体Ⅱ

教える。ということは常に発信側にいることなので、言葉や身振りやなんやらかんやらで
教わる側の人に伝えることを行います。レッスンにおいて全力であることはもちろん、
踊りの場合は心の表出という現象が起こりえるため、お話をしたりブログとかも開設したりするわけですが。
少しの覚悟が足らないがために、結局苦しむことになるわけです。

私の踊りの先生は当時よく私らのことを「私の子供たち。」という表現を使っていました。
「おいおい。大して年は変わらないぞ(笑)」
。。。当時の反応です。
実はちょっと前に、私は私の生徒たちを「私の子供たち。」と呼びたくなることがありました。
当時を振り返っての照れもあったかもしれませんが、私はこのことを何らかの形にすることを避けました。
覚悟が足りなかったのです。
親と子は他人ではないので当人の心の深いところまで踏み込むことがあります。
産まれて最初に踏み込むことが許される唯一の関係でしょう。
「人の心に踏み込む。」そして「自分の心に踏み込ませる。」この関係を作る覚悟を決められなければ
「私の子供たち。」などという言葉は使えない。実際使えなかったわけです。
その結果、身にならない後悔をしています。。。苦しいですね。
生きていれば後悔などしょっちゅうですが、少しでも何かの糧にしたいものです。
でなければまた同じことをするのですから。
ためらってはいけない。覚悟しなければならない。

そして以前書いたものに「言霊の正体」という文があります。
これは人に言われて何らか反応する言葉の言霊はあなた自身の言霊である。というような内容ですが、
この時にわざと書かなかったことがありました。それは「言った人の言霊は言った瞬間実現されますが、
かわりに責任が生じる。」ということです。これは目的の邪魔になると思い書かなかったのですが、
どこかで書かなければならなかったことのようです。
言霊ゆえに「言った人」とくくりましたが、これは何らかの行為に対しても同様に発生するものです。
私は「書かない。」「形にしない。」という行為をしたので自業自得というか因果応報というか
きっちりその責任がやってきました。
そのため今回遅らばせながら「書く。」「形にする。」という行為を行いました。
もちろんこの行為にも責任がついてくるわけですが、
同じ後悔でも覚悟が決まっていたほうがまだましと考えました。
だから、生徒さんたちはいかに年齢が離れていようとも「私の子供たち。」です。
そんな関係を私は作っていくのです。(なんか親の押し売りみたいで締まりませんね。)

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